記録の始まりと終わり

6月13日は鉄人の日

1987年のこの日広島東洋カープの衣笠祥雄選手が2131試合連続出場しました。

記録の始まりは1970年10月19日の巨人戦からでした。

当時の連続試合出場記録はアメリカメジャーリーグのスーパースター、ルーゲーリックがもつ2130。

記録達成後も衣笠さんは出場を続けましたが、

この年の9月21日引退を表明。

記録の終わりはチームの最終試合10月22日の大洋(現横浜DeNA)戦で記録は2215でした。

この日衣笠選手は本塁打と2塁打を打ちます。

かかった年月は丸17年と3日。

死球で肩甲骨を骨折をした翌日、代打で出場したことがありました。

結果は三振でしたが、『死球を与えてしまった相手投手の為にも打席に立ちバットを振った』とコメントしたそうです。

衣笠さんの記録は現在世界2位。

世界1位はアメリカメジャーリーグの元選手カルリプケンさんの2632です。

1996年 6月14日(日本時間15日)当時オリオールズ所属のカルリプケン選手は、対ロイヤルズ戦で衣笠さんの記録を抜き2132としました。

この時衣笠さんは球場いてこの瞬間に立ち会いました。

リプケン選手と握手もしたそうです。

リプケン選手に対して衣笠さんは『これから一人でこの記録と向き合わなければならないのはかわいそう』とコメントしました。

現役を引退後はプロ野球解説者として活躍なさっていましたが、2018年4月23日上行結腸癌のため亡くなりました。

享年71歳でした。

亡くなる4日前、BS放送でプロ野球の解説をなさっていました。

私は偶然この試合をテレビで観戦していました。

衣笠さんの解説の声がとても弱くかすれていたので強く印象に残っています。

この最後の解説、連続試合記録の始まりの巨人と連続試合出場記録の終わり横浜DeNAとの対戦でした。

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